そして、バトンは渡された

かなり最初の頃からフランス映画みたいだなぁと思って見ていました。
家族、親子の在り方の進化系はフランスにあると常々感じています。
終わりまで見たら、この映画がデプレシャンの「キングス&クイーン」の日本版なのだと分かりました。さしづめ「キングス&クイーン&プリンセス」というところでしょうか。
僕は二人の娘の父親なので、やっぱり3人の父親に感情移入をして見ていました。
お腹に子供を宿した時から母親が始まる女性と違って、父親は少しずつ少しずつ日々を積み重ねて積み重ねて父親になっていくものなので、だから毎日晩御飯を頑張ってお弁当を頑張った森宮さんがヴァージンロードを歩いたのが僕はとても嬉しかったです。
お腹に子供を宿した時から・・・と書きましたが、でも実は女性はもっとずっと前から、ひょっとすると生まれたその時から母親で、だからお腹に子供を宿すことのできない悲しさ、寂しさは男には想像できないものなのかもしれません。それから自分の命が終わった後も、やっぱり母親であり続ける・・・。彼女の心の内に秘めたものを意識しながら、もう一度見てみたくなりました。
僕は「キングス&クイーン」で血の繋がらない少年に精一杯の言葉を贈る人格破綻者のイスマエル(デプレシャンの分身ともいえるマチュー・アマルリック)の台詞がとても好きです。
娘たちが、子供たちが、どんな父親からも精一杯の不器用な愛情を注いでもらえる世界であって欲しいと心から思います。

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