台北の朝、僕は恋をする

大好きな楊徳昌の「エドワード・ヤンの恋愛時代」をふたまわりくらい小さく可愛くしたような。
「カップルズ」のダークサイドをそっくりカットしたような。
同じ楊徳昌組の撮った「JAM」と少し似た雰囲気もある。
そんな愛すべき小品でした。

こんな夜があれば、誰でも恋をする。こんな夜があったような気もするし、なかったような気もする。
胸がドキドキするそんな夜を少し思い出すことが出来て、それと同時に僕はまだ訪ねたことのない憧れの台北に、また恋をしてしまいました。

本屋の店員スージー役のアンバー・クォがとにかく可愛い。
僕は、彼女の、台詞にならない息のような小さな声を聞くたびに、必死になって耳を澄ましてドキドキしていました。
夜の公園で一緒にダンスしたり、彼女にしがみついてバイクに乗ったり、ホテルで体を寄せ合ったり・・・。
何度でも「初めてのデート」が出来てしまうような、そんな可愛らしさがありました。
でもただ可愛いだけではないのが楊徳昌流で。
空港に向かう彼を見送って、結局いつもと同じ家に帰ってくる彼女。「新しい朝」はいつも新しいはずなのに、また「いつもの朝」が来てしまった。明かりのない薄暗い部屋の中にいる彼女の表情は見えないのですが、それでも、そんな彼女の切なさやいじらしさが伝わってきて、ますます彼女のことが好きになりました。

あとはファミマ店員のノッポの彼だなぁ。
実は彼みたいなキャラクターの持ち主がキューピッド役を果たしてくれることではじめて映画も恋も成立するんだよね。
夜の屋台で「いつもと同じ夜」を一人で過ごしていたスージーに、あっさり声をかけるシーンに彼の優しさや屈託のなさや友情がギュッと込められていて僕は思わずホクホクしてしまいました。

楊徳昌映画常連のクー・ユールンの登場もまた嬉しくて。その他の人々も一人ひとりキチンと個性があって、皆が一様に憎めない可愛らしさを持っていて、そういうところも群像劇の天才だった楊徳昌の資質をキチンと受け継いでくれていました。
たとえば、刑事の彼女を家まで送っていった彼。一悶着あった後、一人残された彼が、倒れた自転車を直したりするところはあざとくならないギリギリの所で気が利いてました。

3日くらい間を置いて2回見ましたが、また見たいかも。それよりも・・・
夜の街を歩くだけで、何か楽しくてドキドキすることが待っているような。「新しい朝」が気持ち良く迎えてくれそうな。
あー、台湾、台湾、行きたいわん♪(古い?)
2011/3/31

(2016.4.3再見)
単調な繰り返し。変わらない日常。取り残された街。
閉塞感の中で「ここではない何処か」への思いを募らせる若者。
でもたった一晩で世界が変わることもある。
自分を縛っていた閉塞感は実は自分の中にこそあるもので、そこから自由にさえなれば、どこにでも行けるんだってことに気がつくことのできる夜。
言葉に出来ない思いを胸に秘めながら、自分とはまた別の「変わらない一日、変わらない朝」を静かに受け入れようとする人が傍にいるのだということに気がつくことの出来る夜。
Everyday in my life is first time.
そんな夜を越えたとき、自分が迎える一日は実は毎日新しいのだと気がつくことが出来る。
村上春樹の「アフターダーク」を思い浮かべたり、ハルストレムの「ギルバートグレイプ」にも通じていたり。
一生忘れることのない大切な一日は、いつ訪れるか分からないし、その時には気がつかなくても後からそういう日だったと分かることもあるかもしれないわけで。何でもない一日をかけがえのない一日にすることが出来るのは若さゆえなのか、それとも街が持っている演出力によるものなのか。
自分にとってのそんな幾つかの一日を優しく思い出させてもらうことが出来ました。

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