魂の自由(キェシロフスキ、ケン・ローチ、「ブレッド&ローズ」)

システムの側に立つ人間はいつでも「正しいこと」を言う。効率、機会の平等、グローバリズム、競争・・・。自分たちに任せておけば皆を幸せにすると、まことしやかに主張する。雇用を創出し働く機会を与えている、手を差し伸べているのだと微笑を浮かべる。
だけど、誰かの魂の自由を踏み潰して、その上に成り立つシステムが人を幸せにするわけがない。システムはシステムのためだけにある。

キェシロフスキは決して政治やシステムの側には立たない。
未熟で間違いだらけで、いつも過酷な運命に翻弄される「個人」の側にいる。
一人の人間の魂の自由をどこまでも尊重し、そこに光を当てようとしている。
一人の人間の魂の自由は、その人の大切な人に光を当てる。小さいけれど優しくて温かい光でもう一人の誰かを照らす。照らし合う。温め合う。そういう触れ合いだけが人を幸せにする。

僕は君が照らしてくれる光の優しさと温かさを知っている。それは君自身のものであって、決してシステムが君に恵んでやったものではない。金や契約や施しなんて君の魂の自由には全く貢献しない。それはいつも自分の内側にだけある。

ケン・ローチは言った。
「我々にはパンが必要だ。だけどそれと同じくらい薔薇の花も必要なんだ。」
魂の自由には毎日食べるパンが必要だ。そして薔薇の花。日々を豊かにする景色や音楽や料理。そんな日常を慎ましく交換し合うことが必要だ。お互いの喜びを分かち合って、照らし合って、温め合う。パンのためだけには生きられない。

僕自身のささやかな魂の自由と、それから僕の大切な人たちの魂の自由。
キェシロフスキとケン・ローチと、彼らの映画の住人が僕の中でも生きている。

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魂の自由(キェシロフスキ、ケン・ローチ、「ブレッド&ローズ」)” に対して3件のコメントがあります。

  1. ヤマ より:

    同感です。
    「正しいこと」と「」が付くのは即ち“胡散臭いこと”だからですよね~(笑)。
    僕もバターより、薔薇のくちです。
    http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/2003/15.htm

    1. スーダラ より:

      巷に溢れている「正しいこと」は、ただ「1+1=2」という程度のことを言っているだけだったり「カラスが白い」と大仰な理屈をつけてでっち上げているようなことだったり、相応のリスクを負うこと無く粉飾を重ねた胡散臭さがプンプン匂ってくるものばかりです。
      それを政治家やらマスコミやらが率先、先導しているのだからタチが悪い。

      ヤマさんの日誌にもあるように何のリスクも負わず、ちょろまかして味方につけた数の力だけを背景に「正しいこと」を振りかざす連中にはせめてケン・ローチのような骨のある活動家に一刀両断にされて欲しいものです。

      1. sudara1120 より:

        ヤマさん
        もしよろしければ、ヤマさんの日誌の推薦テキストのURLを下記に差し替えてもらえないでしょうか。
        https://cinemanokodoku.com/2018/12/15/breadandroses/
        よろしくお願いします。

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